DIARY

流しのイラストレーター
みやここうじの日々

お子

みやここうじは子育て真っ最中

2011.06.01

甘酒

今年に入ってからわが娘に牛乳と卵のアレルギーがあることが検査でわかり、まったく食べてはだめなわけではないけど、1日これだけ、という制限ができました。それまで普通に牛乳やヨーグルト、チーズを食べてきて本人も好きなようなので、はてこれはどうしたもんかと立ち止まった。

これまでなんの疑問もなく、牛乳=カルシウムが摂れる栄養価の高いものと思い込んでいたが、いろいろ調べると、牛乳というものはもともと子牛が飲むものであって人間が飲むものではないという意見や、飲まなくてもなんら差し支えがなく、カルシウムを摂るなら海藻など他の食品で充分とれる、という意見。また、動物性タンパク質の摂取量が増えるとがんの発生率が高まる恐れがある、というマグガバンレポートの存在や、さらには牛乳や卵が生産される際に与えられる餌のこと(抗生物質が入っていることもある)を考えると、躍起になって子どもにあげなくてもいいのではないかという考えに至りました。

日本人が昔から食べてきたような食生活では、牛乳や卵なんてなかったしなあ。

そういうわけでそれまでもたまに飲んでた豆乳(無調整豆乳+メープルシロップはおいしいよ)をメインにしようとしたが、それだけというものさびしい。そういや甘酒って簡単につくれたなあと思い出し、つくってみたところ、これがうまい!

米と米麹を短時間発酵させるだけなので、もちろんノンアルコール。その栄養たるやビタミンB1、B2、B6やらアミノ酸、オリゴ糖、食物繊維が含まれ、さながら「飲む点滴」ともいわれるくらいなのです。麹は発酵する過程で「麹酸」を発生させ、ビタミンC以上に活性酸素の毒性を除去する働きが強く、細胞の酸化を防止する、そうです、つまりは免疫力が高まるのです!やったー、放射能に勝てる!

もち米と米麹と炊飯器があればほっといてもできるので簡単です。

1. もち米 1合をおかゆモードで炊く。
2. 冷めるまで待つ。(麹は60℃以上で死んでしまう)
3. 麹200gを混ぜ込む。
4. 炊飯器を保温にして、ふたを開けてそのまま9時間ほど放置。
5. 途中、1〜2回かき混ぜる。
6. 9時間後、ほんのり甘くなったら火入れして発酵をとめる。
7. ミキサーでなめらかにしてできあがり!

お湯で好みの濃度にわってもよし、冷やしてしょうが汁を少しいれるもよし。

子が「おいし〜」と言ってそれ以来牛乳も飲まなくなったし、私自身も牛乳をやめたら毎朝快腸になったので(体質にあわなかったらしい)、甘酒は世界を救うってことでひとつよろしく。ビバ!ジャパニーズヨーグルト!

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2011.05.30

パンツ記念日

「もうオムツいらね」と君がいったから、5月某日はパンツ記念日


放射能が漏れてようが漏れてなかろうが、日々の暮らしは続く。

3月半ばに実家に帰って、ひと月ほどしてふと「パンツはく?」ときくと娘も同意したので、昼だけパンツをはくことにした。それまで保育園でもすこしトレーニングをしていたが、まだまだ先は長いかなと思っていた。

実際はかせてみると、「おしっこするー」「うんち!」と自己申告できるではないですか。2〜3時間おきにトイレに行きたいか私が確認するまでもなく、自分で自分の尿意を把握できているようだ。
すごい、すごいぞ!

夜は念のためオムツだが、朝見ると濡れてないことがほとんどなので、これはもうオムツを卒業したといってもよかろう。

2歳の誕生日を迎えた去年の夏、パンツを数着買ってトイレトレーニングを開始した。パンツをはかせていきなりオムツがはずれるわけではない。無言のまま容赦なくパンツに放尿する娘→着替えさせ床をふく、の無限ループになりかけたので、いったんパンツはやめて布オムツをはかせた。紙オムツは性能がいいので、おもらししても「濡れる=不快」という感覚がわかりにくいだろうから、布オムツをつけることで「もらすとなんだか気持ちわるいな」と感じてくれるといいなと思ったのです。

そういうわけで、布オムツ時々パンツを去年の秋頃から保育園でもやってくれていたようで、少しずつ「トイレにいきたい」という意思表示もできるようになってきたと先生からも聞いていたが、毎日、濡れてずっしり重くなっている布オムツやパンツが大量に保育園から返ってくるので、まあ気長にやろうとへらへらしていた。

が、結局3月半ばから保育園もいかなくなり、先生に任せておけばいいやキヒヒ、とほくそえんでいたのに目論見がはずれたので、こりゃ私がやるしかないのかと一念発起したところ、これまでのトレーニングの成果が結実してるではないか!先生ありがとう!すごいよマイドーター!

オムツがはずれると、外出の時にとにかく荷物が少ない、軽いのです。オムツやらお尻ふきやらを持ち歩かなくてよいので身軽、こりゃ革命じゃあ!

ただし「おしっこ!」と言われると、何はさておいてもトイレにダッシュしなくてはいけないので、瞬発力が養われます。めでたしめでたし。



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2009.07.10

1歳になる

1年前の今日、お嬢は産まれた。ちょうど今時分からおなかがいたくなったのだ。思い出すだけで子宮がすくむ。14時間も七転八倒し、最後のほうは本当にわけがわからなかった。出産の痛みは忘れるというが、しばらくは忘れられないなあこりゃ。

産まれてからは1日があっというまだった。産まれてすぐ入院し、ミルクを2ccものめなかったのが、今では赤ちゃんせんべいをバリバリほおばって、肉好きな彼女。なんとも頼もしい限りです。感無量!世界の中心で叫びたい。ちょうどうちに回覧板がまわってきたので、とりあえずその旨をみんなに回覧したいくらいだ。

もういわゆる乳児ではないのだと思うとさみしさもある。どんどん赤ちゃんじゃなくなっていく〜。お母さん、しみじみしちゃう。0歳をふりかえって、そして今後の抱負を彼女にきいてみると、えへえへきゃあきゃあじたばた。おきゃんぴーな反応が返ってきました。

先日保育園で誕生会をしてもらったらしく、迎えにいくと王冠(紙の)をかぶった女王がおでましになった。かわいさ天井知らず!この1年は長いような短いような、密度の濃い1年だった。

お嬢、誕生日おめでとう!


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2009.04.20

しんかろん

お嬢は、「あ、私の言ってることわかってるんだな」と思うことがたびたびあります。

夜ねる前に絵本を読んでいたら、おさるの絵がでてきたので、私は神妙な顔で言った。
「あのね、おさるさんは、お嬢やお父さんお母さんの、ご先祖なんだよ」


「きゃーーーーー!」


静かに話を聞いていたお嬢は奇声をあげた。それはあたかも「うそーーーー!」と言っているかのようだったので、確認のためもう一度言ってみた。

「驚くのも無理ないよね。でも本当なんだよ、人間はおさるさんだったんだよ」

「にゃーーーーー!(信じられない!)」


0歳児に進化論は刺激が強かったかもしれない。

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2009.04.16

ほいくえんでびゅー

お嬢、保育園に行く。

泣き叫ぶ我が子をふりきりながら園を出る私、という図を想像してキュンとなっていた。

が、お嬢はケロリとして一度も泣かないらしい。離乳食もぺろり。迎えにいったら保母さんとアハエヘ笑ってやがる。

くすん、母ちゃんさみしい…。

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2009.04.13

初風邪

きたきたきたー!
風邪ひいたよ、お嬢が初めて風邪ひいたよ!

保育園の見学に行った時に、私が申込書を書いていると、園長先生が鼻水小僧とお嬢を接触させ

「握手〜(はあと♡)」

とやっていたからそれでもらったのだろうか。

というわけで今日はおふろなし!生まれて初めてだ、お嬢がおふろはいらなかったのは。
ちなみに私は小学生のころ、週1しか風呂に入っていなかった。なんでだろう?


せきコンコン。微熱。

お母さん心配なの…。


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2009.04.01

ひい、もう4月!

エイプリルフールだってのに、嘘つく相手が目の前にお嬢しかいない。言葉をおぼえたら、お嬢にニヤニヤされながら嘘つかれるのかな。かわいすぎる!

お嬢、昼寝してもう3時間ほどたつが、大丈夫か。
ひとむかし前はあまり寝ない子だったので、たまにがっつり寝るときがあると逆に心配になった。死んでるんじゃないかと思って、鼻息を確認してホッとしたものだ。

笑うと川谷拓三、もしくはタランティーノ似の彼女。仁義系。

2009.02.24

お宮参り

1カ月健診も無事おわり、暑さも少しやわらぐのを待って9月にはいってからお宮参りに行った。

祝詞を聞きながら思った。

ああ、無事お嬢がこちら側の世界に着いたことを、あちら側に報告しているのだなあ。お嬢は宇宙のそのまたむこうのあちらから来たんだもんなあ。

神主さんの声が気持ち良いのか、お嬢はスヤスヤと眠っている。

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2009.02.15

乳腺炎になったら

乳腺炎は乳がつまって、痛みや熱が出たりする。かなりのダメージをあたえられ、これを繰り返すと母乳育児を続ける気力がなくなります。

今は乳腺炎の傾向と対策を把握したのでもうこわくない。

かくいう私も、産後2カ月の時に散々苦しめられた。おっぱいがガッチガチのゴリッゴリになるのだ。おまけに吸われるとズキッと痛い。お嬢にはこのころ1日20回くらい授乳していたから、そのたびに痛くてしょうがない。でも吸われないともっと詰まってひどくなる。

あらゆる母乳外来にいってみたが、いっこうによくならない。それどころかついに熱が出た。39.5度!大人になってこんなに熱でたことないよ。真っ赤っかになっている右乳を冷えピタで冷やすも、すぐにぬるくなる。病院にいくと、とにかく赤ちゃんに吸ってもらうしかないといわれ、葛根湯を処方される。熱でフラフラでも、1〜2時間おきの授乳。ろくに寝れないは乳は痛いわで、これは本当につらかった。

なんとか翌々日には熱もさがった。しかし食べ物に気をつけないとすぐ乳がつまってガチガチになる。ケーキや肉なんて食べた日には即ガチガチ。おっぱいには質素な和食が一番いいというが、食べたいものが食べられないのはストレスがたまる。

何度もガチガチで痛くなる乳を抱えて思った。完全にミルクにしてしまおうかと。

もう心も乳首も折れそうだ。ミルクなら何を食べてもお酒を飲んでも関係ないし、なによりこんなにしょっちゅう授乳しなくてもいい、ゆっくり眠れる。

そう思っていたらマリエン薬局の授乳ブレンドが良いという情報がはいった。母乳がよくでるハーブがはいっているらしく、藁にもすがる思いで買ってみた。

2週間毎日飲んでいると、母乳外来でマッサージされても、食生活に気をつけてもまったくとれなかった頑固な詰まりがついにとれた。その上ハーブティを飲んでいると何を食べても詰まらなくなった。おお神よ…!

それからというもの母乳も絶好調だ。雲行きがあやしくなったら、濃いめに煎じてがぶ飲みし、お嬢に頻繁に吸ってもらえば大事にならなくなった。これがなかったら母乳育児を続けていなかっただろう。

お嬢は今日もごくごくと乳を飲むのでした。

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2009.02.14

お嬢の頭がゆがんでいる件

お嬢の頭がゆがんでいる。
うまれたばかりの時なんて、コーンヘッズみたいだった。

心配のあまり、健診があるたびに頭の形のことを医師にきいたものだ。医師は何万回も同じことを聞かれているのだろう、「時間がたつにつれ整います」と無表情に答えてくれる。

右ばかり向いて寝るのが原因なのだろうか。向き癖をなおすなおさないで夫婦喧嘩までする始末。無理に左を向かせなくてもいいではないか、そのうち整うのだから。そんなに変な頭のかたちの大人なんていないだろう、と私は思ったが、ハッと口をつぐんだ。

なぜなら私の頭のかたちが変だから。

髪の毛にかくれているからいいようなものの、本当はニコちゃん大王みたいなのだ。もし罰ゲームで坊主にすることになったら大変なことになる、私がニコちゃん大王だとばれてしまう。そんな頭頂部がニコちゃんみたいな女が何かいったところで、誰も聞く耳もっちゃくれない。娘までニコちゃん大王にしてはならない、私は心に誓った。


幸いお嬢の頭は少しずつ整ってきている。

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2009.02.11

妊婦になった日

妊娠に気づいたのは2007年の11月の終わりだった。

岡村靖幸のライブを見に行った。岡村ちゃんに会えてうれしくて最前列で拝んでいたら、酸欠になって気分が悪くなった。吐きそうだ。よろよろとトイレに行く。ビールに、いや岡村ちゃんに酔ったのかしらん、とその時は思っていた。ちなみに岡村ちゃんは力士みたいになってた。

その2日後にイクラを食べたら気持ち悪くなり、横になりながら私は思った。
もしや…。

次の日、薬局で買ってきた妊娠検査薬を試してみることにした。判定までに1分待つようにとある。
が、おしっこかけた瞬間にバッキバキに + が出た!

ぬおおおおおおお!!!!!!!!!

のけぞった。
翌日、最寄りの産婦人科に行くと
「はい、これがですねえ、赤ちゃんが入っている袋ですね、胎嚢です。おめでとうございます」

ほー、このまるいのが?赤ちゃんだって?

お腹のなかにもうひとり人間がいるなんて。そしてこの私が母だなんて。
まるで実感がない。喜びより不安より、不思議でしょうがなかった。

この子はどこからきたのかなあ。
ただただ腹をさするばかりだった。

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2009.02.09

生後1カ月

お嬢が退院してからの我が家は、毎日が祭りのようだった。
すべてが初めてのことだらけだった。赤ちゃんの体はグニャグニャで、顔は無表情だ。寝入りばなにニヘラと笑う。

おむつ→おっぱい→だっこ→なきわめく→おっぱい→ねる

を20回くらいくりかえしたら1日がおわっていた。新生児はもっと寝るのかと思っていたが、そんなに寝なかった。お嬢が寝て、やっと寝れる〜とウトウトしていると、1時間くらいでもう起きてしまう。眠くてしょうがない日々が続いた。

お風呂はベビーバスを使って夫がいれてくれていた。最初のころは、お湯につけるとこの世の終わりのようにギニャー!!!!!と泣いて大暴れしていた。

新生児は、ナベアツで笑ったりしません。

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2009.02.08

赤ほん

雛人形を見に赤ちゃん本舗に行ったら、懐かしのシルバニアファミリーがおいてあって、思わず大人買いしそうになる。

雛人形ってお高いのね。顔や着物もいろいろある。西陣織を着ているものもある。そもそも置く場所がないので、小さくて顔が愛らしく着物がかわいいのを選んだ。

特に買う予定でもなかったおもちゃやプレイマットや肌着まで買ってしまう。おそるべし、赤ほん。

子どもをうむまでまったく興味がなかったが、節句をいっしょに楽しんでいきたいなあ。
ああ、こんなことほんと思わなかった、人って変わりますね。


おや、お嬢がおきたので、今日はこのへんで。

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2009.02.07

うまれてからのこと 〜お嬢、退院編〜

入院中、3時間おきの搾乳しかすることのない私はめっぽうヒマだった。もってきたiPodに録音しておいた「エレ片のコント太郎」をいれておいてよかった。radioshark2も買ってよかった。「モンスターハンターセカンド仁」にどれだけ励まされたことか。つらい搾乳も「母乳を搾って、入院する娘に毎日配達するクエスト」だと思えたからこそのりこえられたのだ。エレキコミックはもっと売れるべきだ。

そのクエストのかいあってか、お嬢は血中のナトリウムの数値が正常範囲に戻って、ミルクも飲めるようになり体重も増え、ついに退院となった。生後2週間後のことだった。

あまりに吐くので、一時は鼻から管をとおして直接胃にミルクをながしていたこともあった。不憫だ。私は保育器の中に手を入れてお腹をさすったり、手をにぎってあげることしかできなかった。それも限られた面会時間の中で。

ある日面会に行くと、管がはずされているので看護師さんにきいてみた。しばらく管をつけていたが、夜中に自分でえいやと管をぬいてしまった。またいれようかと思ったが、その後はミルクを飲んでも吐かなくなったのでもうつけてない、ということだった。

でかした!もうちゃんと飲めるから自ら管をとったんだね。こんなに小さいのにたくましいことをやってくれるじゃないか。

その日からミルクを飲む量が増え、体重もぐんぐん増えはじめ、私の搾乳してきた乳だけでは足りなくなるくらいだった。血液検査も問題なくなり、退院の日が決まった。よかった、本当によかった。

ついに退院の日。お嬢に着替えをさせて小児科と産婦人科のスタッフのみなさんに挨拶をすます。出産の時ぶっきらぼうだったDr.上野も、さわやかな笑顔で見送ってくれた。

こうして、ようやくお嬢が我が家に降臨した。
すばらしい、人生は実にすばらしい。

2009.02.06

うまれてからのこと 〜母乳配達編〜

小児科の先生は毎朝私のところに来てくれて、お嬢の様子を教えてくれた。

2〜3日すればナトリウムの数値が正常に戻るだろうといわれていたが、なかなか戻らなかった。このまま戻らなかった場合、出産時のストレス以外に考えられる原因としていくつか病気の名前をあげられた。病気の名前だけが私の頭をぐるぐるかけめぐって、私は不安になるばかりだった。

夫が面会にきてくれたら話をしようと思ったが、立ち会い出産で刺激が強かったのか、高熱をだして寝込んでいる…。とほほ、だめだこりゃ。面会にきた家族は、NICUに入院しているとはいえ孫の誕生に大フィーバーだった。喜んでくれて嬉しいが、産後のホルモンバランスの崩れも手伝ってか私は落ち込んでいた。

1週間の私の入院生活は、搾乳と面会のみという予想外のものだった。赤ちゃんと一緒いられるお母さんがうらやましかった。夜中にナースステーションに行って、お嬢が病気だったらどうしようと助産師さんに泣きついたことが今ではなつかしい。

結局私だけが先に退院することになり、その後も母乳を届けに小児科にかよった。夏の暑い日だった。

2009.02.05

うまれてからのこと 〜入院生活編〜

いま、お嬢はおやすみ中ですが、ぷっぷぷっぷとおならをしながら寝ています。こういうときに、なんだか猛烈にしやわせなきもちになります。


さてさて、お嬢がうまれて、翌日から母子同室の予定のはずが、出産直後の血液検査で低ナトリウム血症ということがわかり、お嬢はすぐにNICU(新生児特定集中治療室)に連れて行かれてしまったのでした。母乳はでるのに、肝心の本人がそばにいない…こんなことは出産前にまったく想定していなかったので、どうしていいのかわからなかった。たまごクラブにもかいてないよ。

面会時間になると搾乳しておいた母乳をもっていき、保育器にはいっているお嬢のそばにいて、面会時間がおわると自室にかえるというのが私の母親としてのはじめての仕事となった。他のお母さんたちはおっぱいをあげたりおむつをかえたりと忙しそうな入院生活なのだが、私は面会時間以外は3時間おきの搾乳だけ。うまれて喜びいっぱいのはずが、赤ちゃんがそばにいないのが悲しかった。

小児科の担当の先生がきてくれて、お嬢の様子を説明してくれた。おそらく出産時のストレスが原因で、血中のナトリウムの数値が低くなっている電解質異常だという。2〜3日で回復するだろうとのこと。出産は私もズタボロだったから、やはり赤ちゃんもしんどかったのだろうか。とりあえずお嬢は小児科にまかせて、自分の体の回復に専念することにした。

母乳とは白いものだと思っていたが、最初の1週間くらいは初乳といって、とても黄色い乳だった。ほんとにくまのプーさんみたいな色の乳です。母体の免疫がたくさんはいったものなので、これはぜひ飲ませた方がよいらしい。そのうちどんどんと白くなっていった。

で、そのプーさんみたいな乳をしぼって哺乳瓶にいれて、面会時間がくるとNICUに持っていくのだが、お嬢は低ナトリウム血症のせいで乳をのんでもほとんど吐てしまうという。なんとも心配。生理食塩水や糖水を点滴されている。痛々しくて涙がとまらなかった。

2009.02.04

うまれましたよ

あけましておめでとうございます!鬼は外福は内!

我が輩のブログ、大幅な空白の時が流れてますが、それは夏に出産していたからです。お嬢が寝た一瞬だけが私の自由時間です。
その隙をねらって、妊娠出産をふりかえりたいと思います。

痛いとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。正直なめていた。
後にも先にもこんな痛みと苦しみはもうないだろう。
例えようもないのだが、しいていえば骨盤が中から爆裂するような痛みとでも言っておこう。男だったら死んでると思う。


2008年7月10日
AM 1:30 重い生理痛のような痛みが10分間隔にくる。3日前も同じ痛みがきて入院したものの、ただの前駆陣痛だったらしく痛みが遠のいてしまい家に帰されたので、今回はじっと耐えてみる。

AM 3:00 どんどん痛みが強くなり、間隔も5分おき。「こ、これはついにきたか!?」寝ている夫を起こして病院に電話。荷物をもってタクシーにのる。

病院について陣痛の強さをはかると、まあ結構なご様子で。子宮口は3cm開いているという。するする事が運ぶかと思いきや、ここからが長かった。夫に入院手続きをしてもらい、私は分娩室にはいる。とにかく痛い。まだ初期の段階でこの痛さなら、子宮口が全開になるころにはどうなっているのか想像もつかない。ヘタレな私は助産師さんに「ひいぃい、もうおなかきってくださいぃぃ」と泣きつくが、「あはは何言ってるの、まだまだこれからよ。気をしっかりもって!」と笑い飛ばされる。「この調子なら産まれるの昼くらいかな〜」ってまだ午前4時ですよ!?耐えられそうにない…。「ちょっと寝たら?いい波がくるかもよ」とあっさり言われるが、波ってなんだよこちとらサーファーじゃねんだよと心の中で悪態をつく。痛くて寝てられないのです、横になると痛みに体を占拠されてしまうのです。座って腰を押してもらうほうがまだなんぼか痛みをごまかせる。夫に腰を押してもらう。

これから出産に立ち会う男性にワンポイントアドバイス!
1. 腰を押してといわれたらそっと優しく押してはいけません、鬱陶しがられるだけです。さあ遠慮なく全力で押してあげてください。己の指で嫁の骨盤わってやる、くらいの勢いで。
2. あとガンバレ!って言わないでください。言われなくてももう十二分にがんばってます。命かけてます。とにかく奥様を最大限の言葉でねぎらい賞賛しましょう。

とはいえそばで見ている男性は「がんばれ」としか言いようがないのだろう。が、あまりに言われるのでキレた。「もうがんばってるよ!もっと私を褒めろ!」…暴君。むちゃだ。あんまりだ。夫は困っていた。すまん。

そうこうしているうちに夜があけて空が明るくなってきた。痛みは膠着状態。子宮口もかわらず。のんきに朝ご飯が運ばれてきた。「食べないともたないよー」と助産師さん。食えるか!!はっきりいってこの痛みの前にはアロマオイルとかリラックスするCDとかなんの役にもたたない。ただただ耐えるしかない。

AM 9:00をまわっても状態が変わらない。先生が見に来て、「んー、促進剤つかう?」と聞く。そ、そんなあ。できるだけ自力で産みたい、陣痛促進剤なんてめっそうもないと出産前は思っていたが、あまりの痛みと体力の消耗に信念がゆらぐ。11時になっても状態が変わらなければ使う、ということにする。

その後もはだしのゲンみたいにギギギ…とのたうちまわるばかりで子宮口がなかなか開かない。まだまだこれからなのに体力がもうない。へとへと。

AM11:00 陣痛促進剤投入。促進剤の説明書がわたされるが読む余裕などない。最小限から投与するので大丈夫という助産師さんの言葉を信じて点滴が打たれる。ああ、ついにやっちまった、ドーピングしちまった…と無念さにかられながら点滴をみつめる。

しばらくすると今までとは明らかに違うビッグウェーブがきた!もう痛いとか苦しいといった表現では追いつかない。例えるなら、お腹の中のど根性ガエルがピョコンペタンピッタンコ!…ちょっと違うか。野蛮というか原始的というか、とにかく私の想像をはるかに超えていた。「自然なお産」とかどうでもいいです。無痛分娩もしくは帝王切開を選択しなかった自分を呪ったね。あまりの痛さに、先生や助産師さんの腕を思い切りつかんだことは覚えている。青竹を割るくらいとかいいますね。

助産師さんに、この期におよんでアロマオイルはラベンダーがいいかグレープフルーツがいいかと聞かれたが、本当にどうでもよかった。それどころではない、もうにおいを感じられないのだ。「ラ、ラベンダー…」とこたえている自分がなんだかおかしかった。

子宮口全開まであと少しなのだが、吐き気はするは手足はしびれてくるわでもうシッチャカメッチャカ。

PM0:00 分娩室にわらわらと人が増えてきた。今まで横になっていたベッドがトランスフォーマーみたいに分娩台に早変わり。天井がぱかっと割れて照明がとびだしてきた。どうやら子宮口が全開になったらしく、いきんでいいという。一般的には子宮口が全開になるまでが大変で、その後は意外と楽だというのを聞いていたが、私の場合はそうは問屋がおろさなかった。破水しなかったのでお医者さんが「破膜しまーす」といって卵膜を破り、私は痛みのリズムにあわせていきんだ。思わず目をつむってしまうのだがそのたびに「目を開けておへそ見て!」と言われるが、分娩台の足の高さや位置が私にあわず、うまくいきめない。

手足のしびれを訴えると酸素マスクがつけられた。本当に何がなんだかわけがわからなくなる。

何回いきんだだろうか、胎児の心拍数が150前後あったのが60くらいになった。ピーピーとアラートが鳴る。胎児の心音が低下し、大変危険だという。Dr.上野は「吸引します」と冷静に宣言し、ばっさり会陰切開。ああもうどうにでもしてください。吸引するもうまくでてこないのか、Dr.上野はそばにいた夫を押しのけ、ひらりと私にまたがり腹を押すではないか!おいおいおい!!のってるよ〜!!!大の男の医者が2人がかりで押すは引くはで、あんたらめちゃくちゃや!!!!と絶叫しそうになる。まさに拷問。ナチスってこんなですか?噂にはきいていたが、まさか自分がお腹をおされるとは。

そうしてもういきまなくていいといわれた。ようやく体から力をぬく。全身汗だく。どうやら赤ちゃんの頭がでてきたらしい。ここらへんの記憶がおぼろげで、うまれたんだー!という思いよりも先に「やっと終わった、解放されたー!」と思った。

そしてPM3:41、女の子が産まれました。後産のこともおぼえていない。とにかくもう精も根も尽き果てた。真っ白い灰になりました。担当した2人の医師が「いやあ、すごかったね」と言っていた。

赤ちゃんはニャアニャア泣いて、体をふかれたり体重をはかられたりしている。夫は「うまれたよう。ううう」と男泣き。私は呆然と天井をみつめるばかりだ。助産師さんが赤ちゃんをタオルにくるんで連れてきてくれたので、おそるおそるなでてみる。ふやけてしわくちゃな女の子は、おっぱいをすってくれた。めちゃくちゃかわいい〜!

休むようにいわれたが、産後ハイなのか体は猛烈に疲れているのに寝れない。どれくらいハイかというと、世界中の人々が私たちの家族のように思えるくらいハイでした。担当してくれた助産師さんにぺらぺらととりとめのないことを話す。

ああ無事に産まれてよかった。痛みと14時間も格闘したかいがあるってものだ。少し時間がたってからようやく産まれたことを実感し、じわあっと、それからどおっと涙があふれた。(つづく)

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