みやここうじの世界
みやここうじの世界
2009年02月20日
あんきも
蒸篭を買って以来、毎日何かしら蒸している。野菜がほんのり優しい甘さになるところがいい。今日はあんきもを蒸してみた。もみじおろしとポン酢で食べるのだ。
近所の魚屋にちょうどあんきもがあった。300円でたくさん入っている。まずは塩をたくさんふって40分くらい放置。水がでてくるので捨てて、日本酒をかけて筋や薄皮、血のかたまりをとる。水気をキッチンペーパーでふいてラップで円筒型に包む。その上からさらにアルミホイルでまいて、20分くらい蒸す。
要はしっかり血抜きをして、形を整えて蒸すだけ。蒸し上がったら粗熱をとって、冷蔵庫で1時間ほど冷やす。好みの厚さにきって、あさつきともみじおろしをのっけてポン酢をかければできあがり〜。
う、うまい!
あんきもって、DHAやらビタミンやらコラーゲンやらとにかく栄養がすごいらしい。これはうまいわー。心なしか肌の調子が良い気がする。熱燗がのみたいところですな。

2009年02月16日
お寺に猫をかいにいく
なんだか急に、まねき猫がほしくなった。
もう三十路だし、まねき猫の1つや2つ持っていてもおかしくないはずだ。
こうして第一次まねき猫発作が勃発した。
しかしどこに売っているのだろうか。ドンキホーテとかでは買いたくない。どうせならラブリーなやつが欲しい。
いろいろ探しあぐねたところ、どうやら豪徳寺がまねき猫発祥の地だという情報を得た。近いし、まねき猫発祥の地というところにグッときた。
お嬢をつれて散歩がてら行ってみると、意外と大きい寺だった。井伊直弼の墓まである。
境内をぐるっと一周すると、まねき猫殿がありその横には奉納されたたくさんのまねき猫がいた.。こんなにまねき猫が一堂に集結している光景はそうそうない。
ここのまねき猫は小判などは持っておらず、華美な装飾もない素朴なところがよい。サイズは数種類あり、背の丈10cmほどの小柄な猫を買った。座布団もつけてみた。いいね!
我が家の玄関に鎮座ましましている。
2009年02月15日
乳腺炎になったら
乳腺炎は乳がつまって、痛みや熱が出たりする。かなりのダメージをあたえられ、これを繰り返すと母乳育児を続ける気力がなくなります。
今は乳腺炎の傾向と対策を把握したのでもうこわくない。
かくいう私も、産後2カ月の時に散々苦しめられた。おっぱいがガッチガチのゴリッゴリになるのだ。おまけに吸われるとズキッと痛い。お嬢にはこのころ1日20回くらい授乳していたから、そのたびに痛くてしょうがない。でも吸われないともっと詰まってひどくなる。
あらゆる母乳外来にいってみたが、いっこうによくならない。それどころかついに熱が出た。39.5度!大人になってこんなに熱でたことないよ。真っ赤っかになっている右乳を冷えピタで冷やすも、すぐにぬるくなる。病院にいくと、とにかく赤ちゃんに吸ってもらうしかないといわれ、葛根湯を処方される。熱でフラフラでも、1〜2時間おきの授乳。ろくに寝れないは乳は痛いわで、これは本当につらかった。
なんとか翌々日には熱もさがった。しかし食べ物に気をつけないとすぐ乳がつまってガチガチになる。ケーキや肉なんて食べた日には即ガチガチ。おっぱいには質素な和食が一番いいというが、食べたいものが食べられないのはストレスがたまる。
何度もガチガチで痛くなる乳を抱えて思った。完全にミルクにしてしまおうかと。
もう心も乳首も折れそうだ。ミルクなら何を食べてもお酒を飲んでも関係ないし、なによりこんなにしょっちゅう授乳しなくてもいい、ゆっくり眠れる。
そう思っていたらマリエン薬局の授乳ブレンドが良いという情報がはいった。母乳がよくでるハーブがはいっているらしく、藁にもすがる思いで買ってみた。
2週間毎日飲んでいると、母乳外来でマッサージされても、食生活に気をつけてもまったくとれなかった頑固な詰まりがついにとれた。その上ハーブティを飲んでいると何を食べても詰まらなくなった。おお神よ…!
それからというもの母乳も絶好調だ。雲行きがあやしくなったら、濃いめに煎じてがぶ飲みし、お嬢に頻繁に吸ってもらえば大事にならなくなった。これがなかったら母乳育児を続けていなかっただろう。
お嬢は今日もごくごくと乳を飲むのでした。
2009年02月14日
お嬢の頭がゆがんでいる件
お嬢の頭がゆがんでいる。
うまれたばかりの時なんて、コーンヘッズみたいだった。
心配のあまり、健診があるたびに頭の形のことを医師にきいたものだ。医師は何万回も同じことを聞かれているのだろう、「時間がたつにつれ整います」と無表情に答えてくれる。
右ばかり向いて寝るのが原因なのだろうか。向き癖をなおすなおさないで夫婦喧嘩までする始末。無理に左を向かせなくてもいいではないか、そのうち整うのだから。そんなに変な頭のかたちの大人なんていないだろう、と私は思ったが、ハッと口をつぐんだ。
なぜなら私の頭のかたちが変だから。
髪の毛にかくれているからいいようなものの、本当はニコちゃん大王みたいなのだ。もし罰ゲームで坊主にすることになったら大変なことになる、私がニコちゃん大王だとばれてしまう。そんな頭頂部がニコちゃんみたいな女が何かいったところで、誰も聞く耳もっちゃくれない。娘までニコちゃん大王にしてはならない、私は心に誓った。
幸いお嬢の頭は少しずつ整ってきている。
2009年02月12日
蒸し野菜
ずっとほしかったせいろが届いた。白木でできた、中華せいろ。
とりあえず家にあったじゃがいも、にんじん、かぼちゃを蒸してみる。
中華鍋に湯を沸かし、野菜をならべたせいろを置いて15分ほど蒸す。
おお、白木のいいにおいがしてきた。なんていうんですかね、こういうの。いわゆるひとつのロハスのにおいっていうんですか?
まあそんな具合で無事蒸し上がりましたよ。
甘いの、野菜が。特ににんじんなんて相当。じゃがいも、かぼちゃもホクホク。うまい!ビタミンが壊れないそうですよ、奥さん。
こりゃいい買い物したわ。
蒸すよ、あたしゃ。
2009年02月11日
妊婦になった日
妊娠に気づいたのは2007年の11月の終わりだった。
岡村靖幸のライブを見に行った。岡村ちゃんに会えてうれしくて最前列で拝んでいたら、酸欠になって気分が悪くなった。吐きそうだ。よろよろとトイレに行く。ビールに、いや岡村ちゃんに酔ったのかしらん、とその時は思っていた。ちなみに岡村ちゃんは力士みたいになってた。
その2日後にイクラを食べたら気持ち悪くなり、横になりながら私は思った。
もしや…。
次の日、薬局で買ってきた妊娠検査薬を試してみることにした。判定までに1分待つようにとある。
が、おしっこかけた瞬間にバッキバキに + が出た!
ぬおおおおおおお!!!!!!!!!
のけぞった。
翌日、最寄りの産婦人科に行くと
「はい、これがですねえ、赤ちゃんが入っている袋ですね、胎嚢です。おめでとうございます」
ほー、このまるいのが?赤ちゃんだって?
お腹のなかにもうひとり人間がいるなんて。そしてこの私が母だなんて。
まるで実感がない。喜びより不安より、不思議でしょうがなかった。
この子はどこからきたのかなあ。
ただただ腹をさするばかりだった。
2009年02月10日
ラブレター フロム おばあ
祖母から宅急便が届いた。
手作りの布バッグがいろいろ入っていた。手芸が得意な祖母は、セーターを編んだり帽子を縫ったりしてくれる。今回は大、中、小のバッグがマトリョーシカ風に入れられている。その内の小バッグにはこうかいてある。
「ふしぎの星の☆ふたご姫 Gyu!」
ギュ!っていわれてもなあ。お嬢用なのだろうか、特に手紙はない。
バッグの中を確認すると、ポケットティッシュが入っていた。
そこには
「PASSION」
とある。
おばあちゃん、ありがとう。伝わったよ!
2009年02月09日
生後1カ月
お嬢が退院してからの我が家は、毎日が祭りのようだった。
すべてが初めてのことだらけだった。赤ちゃんの体はグニャグニャで、顔は無表情だ。寝入りばなにニヘラと笑う。
おむつ→おっぱい→だっこ→なきわめく→おっぱい→ねる
を20回くらいくりかえしたら1日がおわっていた。新生児はもっと寝るのかと思っていたが、そんなに寝なかった。お嬢が寝て、やっと寝れる〜とウトウトしていると、1時間くらいでもう起きてしまう。眠くてしょうがない日々が続いた。
お風呂はベビーバスを使って夫がいれてくれていた。最初のころは、お湯につけるとこの世の終わりのようにギニャー!!!!!と泣いて大暴れしていた。
新生児は、ナベアツで笑ったりしません。
2009年02月08日
赤ほん
雛人形を見に赤ちゃん本舗に行ったら、懐かしのシルバニアファミリーがおいてあって、思わず大人買いしそうになる。
雛人形ってお高いのね。顔や着物もいろいろある。西陣織を着ているものもある。そもそも置く場所がないので、小さくて顔が愛らしく着物がかわいいのを選んだ。
特に買う予定でもなかったおもちゃやプレイマットや肌着まで買ってしまう。おそるべし、赤ほん。
子どもをうむまでまったく興味がなかったが、節句をいっしょに楽しんでいきたいなあ。
ああ、こんなことほんと思わなかった、人って変わりますね。
おや、お嬢がおきたので、今日はこのへんで。
2009年02月07日
うまれてからのこと 〜お嬢、退院編〜
入院中、3時間おきの搾乳しかすることのない私はめっぽうヒマだった。もってきたiPodに録音しておいた「エレ片のコント太郎」をいれておいてよかった。radioshark2も買ってよかった。「モンスターハンターセカンド仁」にどれだけ励まされたことか。つらい搾乳も「母乳を搾って、入院する娘に毎日配達するクエスト」だと思えたからこそのりこえられたのだ。エレキコミックはもっと売れるべきだ。
そのクエストのかいあってか、お嬢は血中のナトリウムの数値が正常範囲に戻って、ミルクも飲めるようになり体重も増え、ついに退院となった。生後2週間後のことだった。
あまりに吐くので、一時は鼻から管をとおして直接胃にミルクをながしていたこともあった。不憫だ。私は保育器の中に手を入れてお腹をさすったり、手をにぎってあげることしかできなかった。それも限られた面会時間の中で。
ある日面会に行くと、管がはずされているので看護師さんにきいてみた。しばらく管をつけていたが、夜中に自分でえいやと管をぬいてしまった。またいれようかと思ったが、その後はミルクを飲んでも吐かなくなったのでもうつけてない、ということだった。
でかした!もうちゃんと飲めるから自ら管をとったんだね。こんなに小さいのにたくましいことをやってくれるじゃないか。
その日からミルクを飲む量が増え、体重もぐんぐん増えはじめ、私の搾乳してきた乳だけでは足りなくなるくらいだった。血液検査も問題なくなり、退院の日が決まった。よかった、本当によかった。
ついに退院の日。お嬢に着替えをさせて小児科と産婦人科のスタッフのみなさんに挨拶をすます。出産の時ぶっきらぼうだったDr.上野も、さわやかな笑顔で見送ってくれた。
こうして、ようやくお嬢が我が家に降臨した。
すばらしい、人生は実にすばらしい。
2009年02月06日
うまれてからのこと 〜母乳配達編〜
小児科の先生は毎朝私のところに来てくれて、お嬢の様子を教えてくれた。
2〜3日すればナトリウムの数値が正常に戻るだろうといわれていたが、なかなか戻らなかった。このまま戻らなかった場合、出産時のストレス以外に考えられる原因としていくつか病気の名前をあげられた。病気の名前だけが私の頭をぐるぐるかけめぐって、私は不安になるばかりだった。
夫が面会にきてくれたら話をしようと思ったが、立ち会い出産で刺激が強かったのか、高熱をだして寝込んでいる…。とほほ、だめだこりゃ。面会にきた家族は、NICUに入院しているとはいえ孫の誕生に大フィーバーだった。喜んでくれて嬉しいが、産後のホルモンバランスの崩れも手伝ってか私は落ち込んでいた。
1週間の私の入院生活は、搾乳と面会のみという予想外のものだった。赤ちゃんと一緒いられるお母さんがうらやましかった。夜中にナースステーションに行って、お嬢が病気だったらどうしようと助産師さんに泣きついたことが今ではなつかしい。
結局私だけが先に退院することになり、その後も母乳を届けに小児科にかよった。夏の暑い日だった。
2009年02月05日
うまれてからのこと 〜入院生活編〜
いま、お嬢はおやすみ中ですが、ぷっぷぷっぷとおならをしながら寝ています。こういうときに、なんだか猛烈にしやわせなきもちになります。
さてさて、お嬢がうまれて、翌日から母子同室の予定のはずが、出産直後の血液検査で低ナトリウム血症ということがわかり、お嬢はすぐにNICU(新生児特定集中治療室)に連れて行かれてしまったのでした。母乳はでるのに、肝心の本人がそばにいない…こんなことは出産前にまったく想定していなかったので、どうしていいのかわからなかった。たまごクラブにもかいてないよ。
面会時間になると搾乳しておいた母乳をもっていき、保育器にはいっているお嬢のそばにいて、面会時間がおわると自室にかえるというのが私の母親としてのはじめての仕事となった。他のお母さんたちはおっぱいをあげたりおむつをかえたりと忙しそうな入院生活なのだが、私は面会時間以外は3時間おきの搾乳だけ。うまれて喜びいっぱいのはずが、赤ちゃんがそばにいないのが悲しかった。
小児科の担当の先生がきてくれて、お嬢の様子を説明してくれた。おそらく出産時のストレスが原因で、血中のナトリウムの数値が低くなっている電解質異常だという。2〜3日で回復するだろうとのこと。出産は私もズタボロだったから、やはり赤ちゃんもしんどかったのだろうか。とりあえずお嬢は小児科にまかせて、自分の体の回復に専念することにした。
母乳とは白いものだと思っていたが、最初の1週間くらいは初乳といって、とても黄色い乳だった。ほんとにくまのプーさんみたいな色の乳です。母体の免疫がたくさんはいったものなので、これはぜひ飲ませた方がよいらしい。そのうちどんどんと白くなっていった。
で、そのプーさんみたいな乳をしぼって哺乳瓶にいれて、面会時間がくるとNICUに持っていくのだが、お嬢は低ナトリウム血症のせいで乳をのんでもほとんど吐てしまうという。なんとも心配。生理食塩水や糖水を点滴されている。痛々しくて涙がとまらなかった。
2009年02月04日
うまれましたよ
あけましておめでとうございます!鬼は外福は内!
我が輩のブログ、大幅な空白の時が流れてますが、それは夏に出産していたからです。お嬢が寝た一瞬だけが私の自由時間です。
その隙をねらって、妊娠出産をふりかえりたいと思います。
痛いとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。正直なめていた。
後にも先にもこんな痛みと苦しみはもうないだろう。
例えようもないのだが、しいていえば骨盤が中から爆裂するような痛みとでも言っておこう。男だったら死んでると思う。
2008年7月10日
AM 1:30 重い生理痛のような痛みが10分間隔にくる。3日前も同じ痛みがきて入院したものの、ただの前駆陣痛だったらしく痛みが遠のいてしまい家に帰されたので、今回はじっと耐えてみる。
AM 3:00 どんどん痛みが強くなり、間隔も5分おき。「こ、これはついにきたか!?」寝ている夫を起こして病院に電話。荷物をもってタクシーにのる。
病院について陣痛の強さをはかると、まあ結構なご様子で。子宮口は3cm開いているという。するする事が運ぶかと思いきや、ここからが長かった。夫に入院手続きをしてもらい、私は分娩室にはいる。とにかく痛い。まだ初期の段階でこの痛さなら、子宮口が全開になるころにはどうなっているのか想像もつかない。ヘタレな私は助産師さんに「ひいぃい、もうおなかきってくださいぃぃ」と泣きつくが、「あはは何言ってるの、まだまだこれからよ。気をしっかりもって!」と笑い飛ばされる。「この調子なら産まれるの昼くらいかな〜」ってまだ午前4時ですよ!?耐えられそうにない…。「ちょっと寝たら?いい波がくるかもよ」とあっさり言われるが、波ってなんだよこちとらサーファーじゃねんだよと心の中で悪態をつく。痛くて寝てられないのです、横になると痛みに体を占拠されてしまうのです。座って腰を押してもらうほうがまだなんぼか痛みをごまかせる。夫に腰を押してもらう。
これから出産に立ち会う男性にワンポイントアドバイス!
1. 腰を押してといわれたらそっと優しく押してはいけません、鬱陶しがられるだけです。さあ遠慮なく全力で押してあげてください。己の指で嫁の骨盤わってやる、くらいの勢いで。
2. あとガンバレ!って言わないでください。言われなくてももう十二分にがんばってます。命かけてます。とにかく奥様を最大限の言葉でねぎらい賞賛しましょう。
とはいえそばで見ている男性は「がんばれ」としか言いようがないのだろう。が、あまりに言われるのでキレた。「もうがんばってるよ!もっと私を褒めろ!」…暴君。むちゃだ。あんまりだ。夫は困っていた。すまん。
そうこうしているうちに夜があけて空が明るくなってきた。痛みは膠着状態。子宮口もかわらず。のんきに朝ご飯が運ばれてきた。「食べないともたないよー」と助産師さん。食えるか!!はっきりいってこの痛みの前にはアロマオイルとかリラックスするCDとかなんの役にもたたない。ただただ耐えるしかない。
AM 9:00をまわっても状態が変わらない。先生が見に来て、「んー、促進剤つかう?」と聞く。そ、そんなあ。できるだけ自力で産みたい、陣痛促進剤なんてめっそうもないと出産前は思っていたが、あまりの痛みと体力の消耗に信念がゆらぐ。11時になっても状態が変わらなければ使う、ということにする。
その後もはだしのゲンみたいにギギギ…とのたうちまわるばかりで子宮口がなかなか開かない。まだまだこれからなのに体力がもうない。へとへと。
AM11:00 陣痛促進剤投入。促進剤の説明書がわたされるが読む余裕などない。最小限から投与するので大丈夫という助産師さんの言葉を信じて点滴が打たれる。ああ、ついにやっちまった、ドーピングしちまった…と無念さにかられながら点滴をみつめる。
しばらくすると今までとは明らかに違うビッグウェーブがきた!もう痛いとか苦しいといった表現では追いつかない。例えるなら、お腹の中のど根性ガエルがピョコンペタンピッタンコ!…ちょっと違うか。野蛮というか原始的というか、とにかく私の想像をはるかに超えていた。「自然なお産」とかどうでもいいです。無痛分娩もしくは帝王切開を選択しなかった自分を呪ったね。あまりの痛さに、先生や助産師さんの腕を思い切りつかんだことは覚えている。青竹を割るくらいとかいいますね。
助産師さんに、この期におよんでアロマオイルはラベンダーがいいかグレープフルーツがいいかと聞かれたが、本当にどうでもよかった。それどころではない、もうにおいを感じられないのだ。「ラ、ラベンダー…」とこたえている自分がなんだかおかしかった。
子宮口全開まであと少しなのだが、吐き気はするは手足はしびれてくるわでもうシッチャカメッチャカ。
PM0:00 分娩室にわらわらと人が増えてきた。今まで横になっていたベッドがトランスフォーマーみたいに分娩台に早変わり。天井がぱかっと割れて照明がとびだしてきた。どうやら子宮口が全開になったらしく、いきんでいいという。一般的には子宮口が全開になるまでが大変で、その後は意外と楽だというのを聞いていたが、私の場合はそうは問屋がおろさなかった。破水しなかったのでお医者さんが「破膜しまーす」といって卵膜を破り、私は痛みのリズムにあわせていきんだ。思わず目をつむってしまうのだがそのたびに「目を開けておへそ見て!」と言われるが、分娩台の足の高さや位置が私にあわず、うまくいきめない。
手足のしびれを訴えると酸素マスクがつけられた。本当に何がなんだかわけがわからなくなる。
何回いきんだだろうか、胎児の心拍数が150前後あったのが60くらいになった。ピーピーとアラートが鳴る。胎児の心音が低下し、大変危険だという。Dr.上野は「吸引します」と冷静に宣言し、ばっさり会陰切開。ああもうどうにでもしてください。吸引するもうまくでてこないのか、Dr.上野はそばにいた夫を押しのけ、ひらりと私にまたがり腹を押すではないか!おいおいおい!!のってるよ〜!!!大の男の医者が2人がかりで押すは引くはで、あんたらめちゃくちゃや!!!!と絶叫しそうになる。まさに拷問。ナチスってこんなですか?噂にはきいていたが、まさか自分がお腹をおされるとは。
そうしてもういきまなくていいといわれた。ようやく体から力をぬく。全身汗だく。どうやら赤ちゃんの頭がでてきたらしい。ここらへんの記憶がおぼろげで、うまれたんだー!という思いよりも先に「やっと終わった、解放されたー!」と思った。
そしてPM3:41、女の子が産まれました。後産のこともおぼえていない。とにかくもう精も根も尽き果てた。真っ白い灰になりました。担当した2人の医師が「いやあ、すごかったね」と言っていた。
赤ちゃんはニャアニャア泣いて、体をふかれたり体重をはかられたりしている。夫は「うまれたよう。ううう」と男泣き。私は呆然と天井をみつめるばかりだ。助産師さんが赤ちゃんをタオルにくるんで連れてきてくれたので、おそるおそるなでてみる。ふやけてしわくちゃな女の子は、おっぱいをすってくれた。めちゃくちゃかわいい〜!
休むようにいわれたが、産後ハイなのか体は猛烈に疲れているのに寝れない。どれくらいハイかというと、世界中の人々が私たちの家族のように思えるくらいハイでした。担当してくれた助産師さんにぺらぺらととりとめのないことを話す。
ああ無事に産まれてよかった。痛みと14時間も格闘したかいがあるってものだ。少し時間がたってからようやく産まれたことを実感し、じわあっと、それからどおっと涙があふれた。(つづく)
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