ナンシー関
今さらですがナンシー関を初めて読みました。面白くてたてつづけに8册読みました。観察の鋭さと、笑いに対するバランス感覚が突出しています。松本人志も一目置いていたくらいです。
業と欲の最大公約数である芸能人を「面白いか面白くないか」という観点で見事に分析しています。特に森繁久弥に関する文章は言い得て妙です。いつ死んでも天寿を全うしたと言われるであろう森繁が、自分の老い先や生死を口にすることでギャグとして昇華される、というナンシー関の見解に、私はぽんと膝を打ちました。実際、先日の久世光彦氏の葬儀の時もやっぱり森繁は森繁でした。森繁の中の森繁とでもいいましょうか。近年ますます、知人の葬儀は森繁にとって最高の花道となっています。全人類が死んでも森繁は死なない気すらしました。
人を斬る、つまり分析するというのは、その対象が周知であればあるほど切れ味を増します。ナンシー関の場合は、そのポテンシャルが高い芸能人という偶像から、偶像であるが故の悲哀や滑稽を抽出するのに長けています。
私がまちゃまちゃ(摩耶)という芸人にいまひとつ物足りなさを感じるのは、ナンシー関のように、大衆が知っている特定の人物を標的にするのではなく、不特定多数の匿名を射程内にいれようとするため、その破壊力も落ちるのだと思います。
しかし特定の人物を標的にする分、その反響・反撃も増大してしまうので、デーブスペクターに反論されてもさらに反論仕返すだけの分析力と覚悟を持ったナンシー関だからこそできた「芸」であったと思います。

カテゴリー "みやこがゆく"
投稿者:miyako |
日時:01:40



