DIARY

流しのイラストレーター
みやここうじの日々

2006年3月アーカイブ

2006.03.30

ジュヌヴィーエイヴ展

ジュヌヴィーエイヴ・カストレイ展を見に目白のブックギャラリーへ行きました。

丁寧なペンのタッチもさることながら絵がかかれていない部分がとても良いのです。良い空白です。

ライブが始まると彼女はひとりで歌い、その横でテープを流したり合唱したりする気ままなスウェットの男性がいるなと思ったらマウント・イアリ(元マイクロフォンズ)でした。ライブの始まり方が良かったです。


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2006.03.28

カナリア

「カナリア」を見た。子供は親も環境も選べないなかで必死に生きる。

無差別殺人を起こした教団から児童相談所に移された光一は、祖父にひきとられた妹を連れ戻すためにユキと東京へ旅立つ。途中で出会うのは自分を見失ったり、大事なものをなくしてさまよっている大人達だ。そんな大人に振り回される光一は拾ったマイナスドライバーを握りしめるしかない。

生きる事に行き詰まってどうにもならなくて何かにすがりたくなることはある。そんな時に宗教は有効かもしれないがそれはやはりきっかけにすぎない、自分の答えは自分の中にしかない。いろんな気持ちを抱えながらも生きる決断をした光一の髪は真っ白になっていた。

見終わった後、松本智津夫の裁判打ち切りのニュースが流れてきた。


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2006.03.27

スーパーサイズミー

午前中にテレビ東京で放送されていた「森達也のドキュメンタリーは嘘をつく」を見てきつねにつままれたような気分になった。東南アジアのリゾート地で勝手に三つ編みされて「はい200ルピー」と手を差し出されて「ハア?」という気分にさせられるのに似ていた。

その気持ちを払拭したくて「スーパーサイズミー」を見る。マクドナルドを1ヶ月食べ続けたらどうなるかという実験。マクドナルドに限らずどんな食品でも食べ過ぎれば体に支障をきたすが、アホな実験だとは思わなかった。

ドキュメンタリーは現実を素材としそれを編集することで極めて主観的な「作り手の真実」を再構築するフィクションであって、「スーパーサイズミー」の場合は素材の設定そのものをマクドナルドを食べ続けることに凝縮しているというだけだからだ。

給食がファストフードの学校があることに驚いた。子供達は喜々としていたが。自己管理できない人に対して選択の余地がない企業のアプローチには悪意を感じる。なぜ教師が管理しないのか。

食品にしろ化粧品にしろ、何が入っているかわからないものが綺麗な広告にくるまれてこれでもかと宣伝しているわけだから、自己管理をしているつもりでも心もとなく感じる。気にしすぎると食べられる物がなくなりそうだが。


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2006.03.20

明和電機 事業報告ショー2006

訳あって「明和電機 事業報告ショー2006」に行きました。

会場であるルミネtheよしもとには、吉本所属芸人たちのグッズが所狭しと陳列されていました。「いくよくるよレターセット」「ダイナマイト四国クッキー」があるのに、Mr.オクレグッズが無いのが寂しいかぎりです。

開演待ちの客層はよくわからない構成です。工員風作業服+タミヤのキャップの人、なぞのバレリーナ、どこからどう見てもロリータなど、そこはかとなく秋葉原の香りがします。

ショーが始まって目をみはったのは、失踪して牛乳配達していると噂のお兄ちゃん(元明和電機社長)がモーグをひいている姿でした。お兄ちゃん元気になったのかと感慨にふけっていると、モーグをアメリカの民族楽器だと説明したお兄ちゃんはさっさと退場してしまいました。その後、土佐社長はパワーポイントで前年度の事業を説明してから今年度の抱負を語っていました。改めて明和電機の活動ぶりには脱帽です。A(アート)+T(トイ)+P(パフォーマンス)=お祭り という図式を見事に成立させています。

宴もたけなわになると「制服きてる方、ステージ上がってください」と社長が呼びかけました。どうやら毎年恒例のようです。開演前に見かけたタミヤのキャップの人、バレリーナ、ロリータちゃんたちはいそいそとステージに上がっていきます。ずらりと並んだ彼らは、マイクを向けられるとおもいおもいに自らの衣装についてしゃべったり、土佐社長の名前を刺繍したものを見せびらかしたりしていました。

欽ちゃんの仮装大賞のようになったステージは、明和電機社歌に包まれて華々しく幕を閉じました。


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2006.03.17

ナンシー関

今さらですがナンシー関を初めて読みました。面白くてたてつづけに8册読みました。観察の鋭さと、笑いに対するバランス感覚が突出しています。松本人志も一目置いていたくらいです。

業と欲の最大公約数である芸能人を「面白いか面白くないか」という観点で見事に分析しています。特に森繁久弥に関する文章は言い得て妙です。いつ死んでも天寿を全うしたと言われるであろう森繁が、自分の老い先や生死を口にすることでギャグとして昇華される、というナンシー関の見解に、私はぽんと膝を打ちました。実際、先日の久世光彦氏の葬儀の時もやっぱり森繁は森繁でした。森繁の中の森繁とでもいいましょうか。近年ますます、知人の葬儀は森繁にとって最高の花道となっています。全人類が死んでも森繁は死なない気すらしました。

人を斬る、つまり分析するというのは、その対象が周知であればあるほど切れ味を増します。ナンシー関の場合は、そのポテンシャルが高い芸能人という偶像から、偶像であるが故の悲哀や滑稽を抽出するのに長けています。

私がまちゃまちゃ(摩耶)という芸人にいまひとつ物足りなさを感じるのは、ナンシー関のように、大衆が知っている特定の人物を標的にするのではなく、不特定多数の匿名を射程内にいれようとするため、その破壊力も落ちるのだと思います。

しかし特定の人物を標的にする分、その反響・反撃も増大してしまうので、デーブスペクターに反論されてもさらに反論仕返すだけの分析力と覚悟を持ったナンシー関だからこそできた「芸」であったと思います。


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2006.03.15

夢日記 〜ナベツネに三下り半〜

夢を見た。 ナベツネにむかって「今度あう時は、あなたの葬式ですよ!」と激怒する。 私の絶縁宣言にナベツネは困って悲しそうな顔をした。 ナベツネにはなんの恨みもない。
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2006.03.13

ハローワーク

失業保険をもらいにハローワークに行きました。職業安定所のくせに「Hello ! ワーク」なんてどういうつもりでしょうか。ざっと見てもそんな快活なことを言いそうな人は見当たりません。

なぜか月曜日は混んでいる気がします。休み明けで出社拒否した人たちが来るのでしょうか。窓口付近に大勢の人がたたずんでいます。何度か来ているうちに見覚えがある人も数人いるのですが、失業という状況が状況なだけに「やあ、先日もお見かけしましたね」と気さくに話しかけるのも気がひけます。

書類を提出して名前を呼ばれるのを待ちます。ここがハローワークでなければニンテンドーDSでもしながら待ち時間をつぶせるのですが、不謹慎に思われそうなのでとりあえず緊迫した表情を浮かべることにしました。

名前をよばれた十数人は炊き出しでも施されるかのように担当の職員をとり囲みます。みんな沈痛なおももちです。職員から「これで保険の給付は最後となります。お疲れさまでした」と述べられると、小さい卒業式がとり行われているような錯覚におちいりました。


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2006.03.12

エンジェル オブ ザ ユニバース

最終日のアイスランド映画祭で「エンジェル オブ ザ ユニバース」を見ました。

失恋を機に分裂病になったポール。投薬や病院内で出会う人々、親友や両親の厚意によって病気が小康したかにみえた矢先、裕福な歯科医で妻子にも恵まれている親友が謎の自殺をとげ、ポールも飛び降り自殺してしまう・・・。

かいつまんで書くと絶望的ですが、痛快だったのは、ポールと同室の青年が脱走して結局水死体で発見された後、葬式にいくシーンでした。自分をヒトラーだと思っている人と、ビートルズにテレパシーで曲を送っている人とポールの3人で葬式に向かうのですが、行った先は高級レストラン。年代もののワインや美味い葉巻、デザートまでたいらげてからボーイを呼んで一言、「精神病院の患者だから、警察をよんでくれ」と堂々の無銭飲食宣言。やはり死者への最高の弔いは、生の謳歌に勝るものはないと確信したシーンでした。

その後護送されている車内で、警察が3人に「野郎ども、うまいもんたらふく食ったか、よかったな」と言っているのがまた良かったです。あとは、ポールに面会に来た親友が「天才に面会だ!」と声をあげると、そこにいた多くの患者が立ち上がって振り向いたところもニヤリとしました。

映画が始まってからフリドリクソンの映画だと知りました。フリドリクソンの映画は「春にして君を想う」しか見た事がない上にもうすっかり忘れているので新鮮でした。シガーロスの音楽も良かったです。


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2006.03.11

岡本太郎美術館

川崎市岡本太郎美術館に行ってきました。

実は岡本太郎の作品を生で見た事がありませんでした。彼の著作を読んで、ぜひ見に行こうと思っていました。「自分の中に毒を持て」は必読です。

バキっとしてました。色とか構図が。大胆です。手のひらの形の椅子が病院の待合室にあったら、座った人は病気がなおるかもしれません。大仏の手のひらに座ったらこんな感じでしょうか。

何が描いてあるか、どういう背景でかかれているかというキャプションは見ません。見てもおもしろくないからです。私が見たいのは、作り手がその瞬間に凝縮させた思念、感情そして力、その人の真空パックとでもいいましょうか。

ここちいいものをつくってはならん、と太郎さんは言いました。太郎さんが作りたかったのは、見る人の胸ぐらをつかんでぐわんぐわん揺さぶるもの、奥歯ガタガタいわせるもの。それは絵じゃなくてもよいです。道に落ちてる石とか看板とか歩いてるおっさんとかにもそれは宿るのです。

美術館の横には「カフェ TARO」というレストランがあって、メニューを見てみたらごく普通でちょっとがっかりしました。私が店長なら「太陽の塔のパフェ」とか「午後の日パンケーキ」とかをつくるでしょう。


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2006.03.10

紙をつくる

我が家のありあまる牛乳パックに朗報です。

いつもはスーパーの回収ボックスに入れてそれっきり、リサイクルといってもどのようなかたちで再生されるのか見届けられないので、私のエコ心は不完全燃焼のままでした。でももう大丈夫です、リサイクルひろば高井戸では牛乳パックから紙を作る方法を教えてくれるのです。牛乳パック数枚と新聞紙を持っていくと、担当の近藤さんが下準備を完了させて待機していて、あとはもう漉くだけという状態でした。

手順としては、洗って乾かした牛乳パックを手でおおまかにちぎり水につける。一晩おいてパックの表面についているフィルムをはがし、パルプを取り出します。パックの原料になっているのは高級なパルプなので、そのまま捨ててしまうのは本当にもったいないです。

パルプと水をミキサーにかけ粉々にし、大きめの洗面器に入れます。その後、近藤さん手製の木枠でどろどろになっているパルプをすくいます。均等な厚さになるように漉いて、水分をとるため新聞紙にのせます。だいたい水分がとれたら、日光があたる窓ガラスにはりつけ自然乾燥させ、最後にアイロンをかければできあがりです。

押し花や色紙をのせると「デキるな」と思われること請け合いです。サイズの大きいものは難しいので、今回はハガキサイズのものを作りました。厚めでざらりとした手触りの質実剛健な紙ができあがりました。


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2006.03.09

カイロプラクティック

カイロプラクティックでぼきぼきやられました。

開始早々、「カイロと整体の違いはなんですか」という私の長年の疑問を、先生は「カタカナと漢字の違いだね」というざっくばらんな答えで一刀両断。確定申告やライブドアといった下世話な金の話とともに治療が進みます。

私の骨盤は右が後ろにひらいていて左が前にずれているとのことで、これを矯正してもらいました。ほんとに直接骨や筋肉の位置を動かしているようです。確かに腰が快適です。慢性肩こりを訴えると、頭をぐりんとまわされ、ボキボキっと鈍い音が響きました。テレビで見るのと同じ光景が広がっていたと思われます。安田成美一家がよく利用していて、ノリさんは私生活でもあのまんまだという他愛ない世間話に「はあ」「へえ」とハ行のみで返答していくうちに2時間弱の施術が終わりました。

今まで行っていた鍼灸は、血液・リンパ・気といった内部の流れを整えるのに対して、カイロプラクティックは骨や筋肉といったハードウェアを調整している気がしました。

先生がおっしゃるには、人の体というものはもともと左右対称ではなく、歪みやずれがその人の個性となる。非対称の左右がバランスをとりつつ成り立っているので、顔を美容整形して不自然な印象になるのは、手術でいじって左右対称にしてしまうからだそうです。上手な美容外科医はわざと右目を小さくするといった非対称の工夫を施す、ともおっしゃっていました。歪みゆえに我ありといったところでしょうか。


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2006.03.01

岩盤浴

岩盤浴に行きました。「血行促進」とか「サラサラの汗がでる」という謳い文句に弱いのです。

ぶらり吉祥寺で途中下車し、お店の人の話を聞いてピンクの作務衣に着替えます。岩盤浴ルームに入ると、眼下にはピンクのトドが・・・あ、おばちゃんたちが横たわっています。私もいそいそタオルをひいて石の上に寝転びます。呼吸が楽なサウナといったところでしょうか。10分もたたないうちに汗ダクです。水を飲んではゴロリ、を繰り返すうちに全身びしょぬれになります。作務衣が変色しています。休憩室では濡れネズミのような人たちが水をただただむさぼります。

うつろな目で天井を見上げ、ただ汗をかく物体と化した40分後、無事終了です。お店の人が出してくれたハーブティーがとてもおいしかったです。


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